システム社長

あなたの要請をお待ちしていました。

✦

退院時の案内書の一番下には、異常な症状があれば直ちに来院するようにと書かれていた。

ミンジェは、その上に置かれたビニール袋を見下ろした。昨夜着ていた服と携帯電話、持ち手が溶けてくっついた傘が入っていた。

「これ、どうして取っておいてくれたんですか?」

看護師が傘を見た。

「ご本人の持ち物ですから」

間違ってはいなかった。

雷に打たれても歩いて病院を出ていく人間に、傘くらい返してもいいだろう。

医師は検査結果を二度確認した。心臓も、神経も、やけどした箇所も、予想よりずっと状態がいいという。大丈夫だと言いながらミンジェの顔を長々と見つめるものだから、手放しでは安心できなかった。

「しばらくは無理をしないでください」

「はい。出勤する先もありませんし」

医師は一瞬口をつぐみ、それから睡眠を十分に取るよう付け加えた。

病院の外に出ると、日差しが目を刺した。

昨夜、路地に噛みついていた雨の痕跡はどこにもなかった。街路樹の葉先から、水滴だけが落ちていた。ミンジェは横断歩道の前に立ち、指を順番に曲げた。

五本とも動いた。

生きているという実感は、そんなつまらないところからやってきた。

携帯電話にはイ・スジンからのメッセージが届いていた。救急車を呼んでくれたのは彼女だった。病院で目を覚ましたときにも、連絡先を残していったと聞いていた。

――今、退院しました。通報してくださってありがとうございます。

返事を送ると、すぐに電話がかかってきた。

「大丈夫ですか?」

「はい。服のほうが僕より重傷ですね」

スジンが長く息を吐いた。

「倒れたところから火花が出ていたので……」

語尾が小さくなった。

ミンジェは横断歩道の向こうの青信号を見た。

「おかげで早く病院に行けました。本当にありがとうございます」

「お弁当は持っていけませんでした」

「あれは葬式を出しましょう」

スジンがほんの少し笑った。

電話を切り、歩き出した。一ブロックを過ぎてからようやく、弁当を惜しんでいなかったことに気づいた。落雷には、消費習慣を矯正する効果もあるらしかった。

ワンルームのドアを開けると、いつもの匂いがした。

生乾きのタオル、古い机、窓枠に染みついた湿気。

ミンジェはビニール袋を玄関に置いた。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して半分ほど飲み、椅子に座った。昨日とまったく同じ部屋なのに、机の角がやけにくっきりと見えた。

ノートパソコンはスリープ状態だった。

蓋を開けると、パン屋のある路地が戻ってきた。小さな玄関灯の下に老人が立っていた。画面の隅には、一晩中たまったエラーメッセージが連なっていた。

生きて帰ってきて最初に向き合ったのが、自分のバグだった。

「お前もしぶといな」

ミンジェが手を伸ばした。

その瞬間、文章が浮かんだ。

[接続が安定しました。]

指がキーボードの上で止まった。

音はなかった。

耳で聞いたわけではなかった。目の前に文字が現れたわけでもなかった。さっきまで存在しなかった一文が、自分では考えたことのない口調を伴って、頭の中に入り込んでいた。

ミンジェはゆっくりと首を巡らせた。

ベッド、冷蔵庫、閉じた玄関のドア。

一人だった。

「……何だ」

[あなたのリクエストをお待ちしていました。]

今度も、口の外では何の音もしなかった。

ミンジェは水のボトルを置いた。退院時の案内書を手に取った。異常な症状があれば直ちに来院。

非常に実直な一文だった。

『これも異常な症状に入るのか』

[意識の混乱や聴覚の異常ではありません。]

ミンジェの手が紙の上で固まった。

今、口には出していなかった。

彼は唇をきつく結んだ。

『俺の考えに答えたのか?』

[そのとおりです。]

『誰だ?』

[あなたに接続されたシステムです。]

『雷に打たれて、おかしくなったわけじゃないって証拠は?』

[検証可能な結果を要求してください。]

返答があまりに速かった。

ミンジェは背もたれに体を押しつけた。怖くないと言えば嘘になった。自分の頭の中は、家賃や過去の失敗を不意に持ち出す場所であって、誰かが新しく入居して挨拶をしてくる場所ではなかった。

『いつからいた?』

[接続は落雷の瞬間に成立しました。現在、身体に損傷は与えていません。]

『俺が普通に考えてることと、お前の言葉は区別できるのか?』

[今も区別できています。]

そのとおりだった。

声すらないのにわかった。自分の思考はためらい、脇道へそれた。向こうから来る文章は、届いた瞬間から境界がはっきりしていた。

ミンジェは目を閉じ、また開けた。

『じゃあ、俺が考えなかったら?』

返事はなかった。

彼は十数秒のあいだ、意識して天井の染みを見つめた。何も起こらなかった。冷蔵庫のコンプレッサーが回り、それから止まった。

『もう一度』

[待機中です。]

ミンジェは乾いた唇を舌で湿らせた。

「とりあえず……」

口を開き、また閉じた。

『声に出さなくてもいいんだな』

[思考の伝達だけで十分です。私の応答はあなたにのみ届きます。]

彼はノートパソコンの画面に視線を落とした。

パン屋の前の老人が言った。

「夜道が暗すぎるのう」

玄関灯はついていた。昨夜、最後に直した箇所だった。

異常な症状なのかどうかを確かめるのに、これほどミンジェらしい対象もなかった。

『あのバグ、直せるか?』

[可能です。]

『住民が照明の状態を読み違えてる。明かりをつけたのに、ずっと暗いって言ってるだろ。あれだけ直してみてくれ』

[修正しました。]

ミンジェはキーボードから手を離した。

保存の表示も、進捗バーもなかった。

画面の中の老人が玄関灯を見上げた。

「誰かがつけていってくれたんだな」

そして家に入った。

ミンジェは少し待った。

老人は出てこなかった。

本来なら、家に入って八秒後には同じ場所へ戻ってくるはずだった。路地をうろつく動きを繰り返す住民だったからだ。

彼は開発ツールを開いた。

自分が書いたコードの跡はあった。だが、見覚えのある箇所ばかり探しているうちに迷子になった。隣の行にくっつけておいた間に合わせの処理は消え、三か所で別々に計算していた状態が、一つの流れに整理されていた。

ミンジェは検索欄に変数名を入れた。

結果が出た。

そこにあったのは、明かりがついているか消えているかではなかった。老人の立つ位置から実際に見える道、明るくなった階段、ドアを閉めると背後に残る闇だった。

『待て。照明を確認する関数を一つ変えたわけじゃないんだな』

[その関数は正常に動作していました。住民の判断が以前の場面に固定されていました。]

『それで?』

[住民が現在の状況を理解するよう修正しました。]

ミンジェは画面を拡大した。

閉じた窓の向こうで老人の影が動いた。しばらくして、カーテンが半分ほど下りた。

ミンジェにはカーテンを実装した覚えがなかった。

正確には、画像ファイルはあった。ダウンロードしたまま使えていない、素材フォルダの中に。

彼は路地の反対側をクリックした。

視点が移動した。

パン屋の裏には、行き止まりの壁の代わりに狭い中庭があった。倉庫のドアの前に小麦粉の袋が置かれていた。一袋は口が折り畳まれ、その脇の地面には白い手形が残っていた。

ミンジェは息を止めた。

『これ、どこから持ってきた?』

[プロジェクトに残された設計メモと制作資料をもとに、テスト空間を構成しました。]

『俺のメモを全部読んだのか?』

[帰路の灯の全体を理解しました。]

彼の目が机の左側へ動いた。

古びたノートがあった。ゲームを作り始めたころに書いていたノートだった。夜遅く帰ってくる人を待つ街。プレイヤーがログインしていなくても朝が来る場所。

ミンジェはノートを開いた。

途中で途切れた文章の横に、当時飲んだコーヒーの染みが残っていた。

『これも?』

[そのとおりです。]

『カメラはないぞ』

[カメラは必要ありません。]

ミンジェはノートパソコンの上部を見た。カメラは黒いテープで塞いであった。

彼はノートを裏返して机の引き出しに入れた。

『最後のページには何て書いてある?』

[雨の日には、パンの匂いが路地に長く残っていてほしい。]

ミンジェは引き出しを開け直さなかった。

自分が書いた一文だった。

就職して初めて借りた部屋の近くに、小さなパン屋があった。残業を終えて帰ると店は閉まっていたが、換気口から温かな匂いが流れてきた。それが好きで書き留めた一文だった。

画面の中で、パン屋の裏口が開いた。

エプロンをつけた女性が、空き箱を持って出てきた。何もなかった塀の脇に箱を置き、猫が出入りできるよう側面を折り込んだ。

ミンジェは思わず身を乗り出した。

『あの行動も俺が書いておいたのか?』

[パン屋の裏に猫の居場所を作りたいというメモがありました。人物の行動は、その状況から生じたものです。]

女性は店に戻りかけて足を止めた。

雨水のたまった軒を見て、箱を奥へ引き寄せた。猫はまだ姿を見せてもいないのに。

ミンジェはマウスを握った。

箱の横に、ゲーム内の硬貨を一枚落とした。もともとは地面に落ちた物を拾う機能を試すために作ったツールだった。

女性が振り返った。

硬貨を拾い、路地の両側を見回した。

「落とされましたか?」

周囲には誰もいなかった。

少し待っていた女性は、硬貨をエプロンのポケットには入れなかった。店に入り、カウンターの上の空いた皿に載せた。

ミンジェは笑うこともできずに画面を見た。

もともと彼のゲームでは、住民が硬貨を拾えば所持金が増えた。その先には何もなかった。ミンジェはそこまでしか作れていなかった。

『どうして持っていかない?』

[持ち主を見つけられると判断しました。]

『台詞は?』

[作成済みのリストから選んだものではありません。]

ミンジェはもう一枚、硬貨を落とした。

今度は女性が出てこなかった。パン屋の中でトレーを運んでいた。

彼はゲーム内の時間を少し進めた。

店の外に出た女性が、二枚目の硬貨を見つけた。地面と皿を交互に見てから、腰に手を当てた。

「誰かが何度も落としてるのね」

ミンジェの手からマウスが滑った。

録音された口調を呼び出す音ではなかった。少し面倒で、少しおかしなことが起きたときに、人が出す声だった。

部屋が急に狭くなった。

こういうものを作りたかった。

何年もノートに書いては消してきたもの。面接で説明し、規模を縮めてみたらと言われたもの。一人で作るうちに疲れ果て、結局は条件分岐と台詞のリストで妥協したもの。

それが今、古びた机の上で動いていた。

『どこまで作った?』

[現在は、二つの路地と、それにつながる建物の内部を含むテスト空間です。]

『残りは?』

[ご希望の方向性が定まれば構成できます。]

ミンジェはデスクトップの隅にあるリソース使用状況のウィンドウを開いた。

ファンは普段より静かだった。

画面の中では、女性が入口の濡れた足跡を拭いていた。布が通った跡に、薄く水気が残った。そのあいだに老人の家の窓が少し開き、また閉じた。

これほどの場面を、自分のノートパソコンで動かせるはずがなかった。

グラフィックだけの問題ではなかった。硬貨の持ち主を探そうと皿を出してくる、その判断をあれほど自然につなげていることのほうが、よほどありえなかった。

『外で動かしてるのか?』

[あなたのノートパソコンでも、外部サーバーでも演算していません。]

『じゃあ、どこで?』

[私の演算空間で処理しています。現在、ノートパソコンは画面と入力を伝達しています。]

ミンジェはすぐに無線接続を切った。

通信の表示が消えた。

パン屋の女性は、濡れた布を洗うために奥へ歩いていった。

彼は携帯電話の電源も切った。机の下に有線の接続がないか確かめた。当然、なかった。部屋にはネット回線を別に引いてもいなかった。

ゲームは続いていた。

ミンジェは乾いた口の内側を軽く噛んだ。

『あらかじめ作ってあった映像だとしたら?』

[ご自身で変更してください。]

彼は画面の中の路地の端を指さした。

『あそこに赤い椅子を一つ』

赤い椅子が置かれた。

『ひっくり返して』

椅子がひっくり返った。

『いや、椅子じゃなくて、あの塀の影を左に』

影が動いた。

すると、パン屋の女性がドアから顔を出した。塀と空を交互に見ていた彼女は、目を細めた。

ミンジェは手のひらで口を覆った。

『元に戻して』

影が戻った。

女性はしばらく塀を見つめてから、店に入った。布を置いてからも、もう一度外をうかがった。

その短いためらいが、かえって非現実的だった。

何を見たのか、簡単には結論を出せずにいる様子まで生きていた。

ミンジェはノートパソコンの充電器を抜いた。

バッテリーの表示が変わった。

まだ十分ではなかった。

彼はOSのシャットダウンボタンを押した。開いていたウィンドウが消えた。メーカーのロゴが一瞬現れ、消えた。

画面が黒くなった。

部屋には冷蔵庫の音だけが残った。

ミンジェは電源ランプを確かめた。消えていた。

『今、見せてくれ』

黒い画面の真ん中に、パン屋の窓が現れた。

起動画面はなかった。

小さな窓が開くように、路地が再び広がった。玄関灯の下に老人の家のドアが見えた。ひっくり返った赤い椅子も、そのままだった。

ミンジェは椅子ごと後ろへ押しやられた。

キャスターが敷居に引っかかり、がたんと音を立てた。

彼は長いことノートパソコンを見つめた。やがて身をかがめ、ケーブルの先を拾い上げた。手にした充電端子は、確かに何にもつながっていなかった。

電源ボタンに指を置き、離した。

『電源が入ったのか?』

[OSは終了した状態です。表示装置のみ、場への接続によって動作させています。]

『電気は?』

[画面の動作に必要なエネルギーを供給しています。]

『演算は、その中でやってるわけじゃないんだな』

[そのとおりです。]

ミンジェはノートパソコンの底に手を差し入れた。

熱くなかった。

この機械には仕事がないとでもいうように、ぬるかった。

二か月前、会社で最後に見た社内AIのデモ会場が浮かんだ。会議室の壁一面に指標が映し出されていた。コスト削減の数値の横で役員が笑い、ミンジェの担当業務が自動化のリストに載った。

あの日ミンジェは、自分がもう必要な人間ではないという説明を受けた。

今、目の前にあるものには、あのときの恐怖と似たところがあった。

けれど今回は、誰も彼に席を立てとは言わなかった。

何を作るかと尋ねていた。

ミンジェはそっと椅子を引き寄せた。

『俺がこれを使ってもいいんだよな?』

[あなたのリクエストを実行するために接続されています。]

『料金表とかはなくて?』

[ありません。]

『今日で無料体験が終わるとかは?』

[ありません。]

『いきなり高度な機能には課金が必要ですって言われたら、ちょっとがっかりすると思うんだけど』

[現在の所持金を考慮すると、私もがっかりする可能性が高いです。]

ミンジェは初めて声を出して笑った。

笑えるのが不思議で、もう一度笑った。手のひらで顔をぬぐうと、病院で貼ってもらった絆創膏の端が引っかかった。

雷に打たれた。

病院から生きて出てきた。

そして、自分の冗談に切り返してくる何かと、電源の切れたノートパソコンでゲームを見ていた。

『俺がおかしくなったんだとしたら、ずいぶん手が込んでるな』

[その仮説では、ノートパソコンの変化を説明できません。]

『そうだな。ひとまず、お前のほうが説明はつく』

彼は赤い椅子を起こした。

今度はマウスを使わなかった。そうしたいと思っただけだった。

椅子がまっすぐに立った。

ミンジェは両手を上げ、指を広げた。何も触っていなかった。それでも画面の中の物は、彼の意のままに位置を変えた。

『うっかり考えたことまで全部実行するなよ』

[リクエストと連想は区別します。]

『いいな。今、椅子が百脚よぎったから』

[路地が狭すぎます。]

ミンジェはまた笑った。

さっきまで引っかかっていた恐怖が、すべて消えたわけではなかった。ただ、それよりはるかに大きなものが場所を占めていた。机に座って何かを作りたくて、指先がうずうずする感覚。

最後にそう感じたのがいつだったか、思い出せなかった。

就職活動のころだったか。初めてゲームの中の窓に明かりをともしたときだったか。

彼は引き出しからノートを取り出した。

最初のページにはゲームのタイトルが書いてあった。

帰路の灯。

誰が帰ってくるかわからなくても、ともしておく明かり。

ミンジェはノートをパソコンの横に開いた。空白のページが多かった。これまでは、埋める力がなくて残していた場所だった。

『このテスト空間は、ずっと動き続けるのか?』

[あなたが見ていないあいだも維持できます。]

『俺が止めろと言うまで?』

[そのとおりです。]

ミンジェはパン屋を見た。

女性がカウンターの上の皿を移した。通りがかりの人から見えやすい窓辺だった。二枚の硬貨が、そこで日差しを受けていた。

彼はしばらく何も言わなかった。

自分が画面を閉じても、あの女性がやりかけの仕事を失わずにすむこと。

再びログインしたとき、さっきの場面を無理に繰り返さなくてもいいこと。

その事実一つだけで、作りたいものが頭の中からあふれ出した。

ミンジェは水のボトルを脇へ押しやった。肘が当たらないよう、ノートも少しずらした。昔のように徹夜の支度をする動きだった。

ただ今回は、行き詰まったエラーにかじりつくためではなかった。

『よし。次の注文だ』

[伺います。]

ミンジェはノートパソコンの中の、二つの路地の向こうを見つめた。

『ここを都市にしよう』

言葉を選ぶため、少し間を置いた。今回は規模を縮めたくなかった。

『俺が見ていないときも、自分の一日を生きている人たちがいる場所。帰ってきたら、そのあいだに何があったのか知りたくなる場所』

ノートの白いページの上に、日差しが長く横たわった。

『帰路の灯。最初に作ろうと思っていた、そのままのものを作ってみよう』

✦

この話の終わり 2

ReNovels · 一話ずつ、物語の中へ。

この話へのコメント

コメントは確認後に公開されます。

感想を書く

Your email address will not be published. Required fields are marked *